創業者の声

「創業者の声」創業者 松本勇氏(まつもと いさむ)

腕のいい親方のもとで武者修行、その財産を伝えたい
大勢の親方に鍛えられた修業時代
「父親が造園業だったんです。ハサミひとつでいろんなお宅の庭をまわる、いわゆる植木屋ですよ。昔の職人というのはいまとだいぶ違っていましたね。1年のうち3分の1くらいは暇ですから、土木をやったり“とび”をやったりと、いろいろなことが覚えることができたし、それから大きなお屋敷の仕事なんかだと、3年から5年くらい平気でかかるでしょう。工期があってもそのとおりにパッパと終わらせることはない。手をつけても、その後、気が向かないとなかなかやらなかったりといった具合で、職人は結構威張ってましたね。いまは、役所の仕事が特にそうなんだけれど、昔に比べ職人が大事にされなくなっちゃったんじゃないかな」
若い頃に3年ほど京都にも修行に行った松本勇氏だが、父親の跡を継ぐつもりはなく、銀行員にでもなろうと思っていたそうだ。しかし、父親がケガで仕事ができなくなったことがきっかけになり、真剣に造園の世界に入ることを決意する。 「覚悟を決めてからは、腕がいいと評判の親方のところへ行って本格的に修行をはじめました。松の手入れの上手な親方のところへ行ってそれを覚えたら、今度は石の据え方のうまい人のところへ、といった具合に。当時、植木屋で一人前になるには20年かかるっていわれていたんですよ。なにしろ仕事の範囲が広かったから。昔の庭だと、飛び石ひとつ据えるにもいろんなやり方があるし、垣根でもいろんな種類があってたいへんだった。池をつくるのも植木屋の仕事だったし、木の種類も何百とあるしね」
見習いの間は無給、だからこそ一日も早く仕事を覚えねばという気になったという。
松本 勇

「先輩なんか教えてくれないから、仕事を見て技術を盗むわけです。スコップでも刈込みバサミでも、夕方みんなしまってから全部研いだりしましたよ。それを一日も欠かさず。また当時は厳しくて、病気以外で二日続けて休んだりするとどこも使ってくれなくなる。親方同士の連絡も密だから、すぐ有名になってしますんです。そのかわり真面目にやってれば、ほかへ行っても、あいつをよろしくと連絡してくれるんですね」
修業時代は苦しかったが、大勢の親方に鍛えられたおかげで何でもできるようになった。それが自分にとってかけがえのない財産になっていると松本氏は言う。 仕事に携わる人の考えも、大きく変化して「例えば垣根工事がなくなってきましたね、京都のほうではお寺関係の修理が結構あるんでしょうが、関東ではせいぜい料亭くらいで、非常に少ない。いまは垣根にせずにフェンスやブロックにしてしまうでしょう。ブロックにするより竹の垣根にしたほうが建物は3倍くらい長もちするんですよ、風が通りますから。先人はその辺を十分に考えて、建物に合せてつくっているんですね。ブロック塀は安く簡単にできてしまうが、垣根類は5年も経つともうボロボロになるから直さなくてはならなくなる。その垣根に使う竹も、12月や1月に切ったものだとこれが3倍ももつわけです。ですから私たちも小僧の頃、垣根の材料の竹を、凍った池の氷を割って汲んだ水で、それも素手で洗わされたものです」
仕事の内容も質もずいぶんと変わってきた、そして昔に比べ求められるものが多くなったという。
「われわれの頃は一級造園技能士の免許さえ持っていれば威張っていられたんですが、いまの人は植木屋でも玉掛けから高所作業はもちろん、移動式クレーンなど全部で10くらいの免許を取らなきゃいけない。それがないと現場に入れない。そのうえ個人の家では重機は入らないわけだから、相変わらず昔のように三叉を掛けなきゃならない。つまり新しい技術と古くからのものの両方を覚えなくてはならないからたいへんですよ」
特に古くからの技術については、伝承が難しくなっているという。古くからの技術が求められる仕事が少なくなっていることがいちばんの原因らしい。 「例えば、垣根の仕事はいまではあまりないから、一度覚えても忘れてしまうんです。われわれの時代はそういう仕事がたくさんあったから。私もそろそろ60歳だし、うちの若い衆には仕込んでいますが、他の人にも仕込んでいかなければいけないと思っています。やはり“ただ”で働いた時代を通ってきた昔の連中の技術は違います」
松本 勇

若い人はもっと貪欲に
「若い人を見てると、仕事を覚えようと思ってくるのはあまりいないんじゃないかなあ。お金が高ければ来る。だからこちらも怒りたくても怒れない。怒れば休まれてしまいますから。どうしても怒らなければならないときは、十時に一服した後に少し怒って、三時には今度はおだててやるんです。所帯持ちの職人でも、木がいっぱい入って疲れるような日には必ず休む人もいる。人を使うのはたいへんです」
そうは言うものの現場では厳しい親方で知られているようだ。
「クライアントの若い人たちは、礼儀正しいし、成長も早いですよ。でも私なんか現場ではみんなを呼び捨てにして怒鳴っているから恐い親方だと思われてるんでしょうね。面倒見はいいつもりなんだが。怒鳴るのはもっぱら仕込むためですよ。だから監督の方を怒ったり、うちの若い衆の方を怒ったりと、うまく案配するんです」 怒るときは、それによってみんなが向上するような場合でなければと松本氏は言う。
「うちの若い衆でもクライアントの若い人たちでも同じですが、一日をもっと大切にしてもらいたい。与えられたことだけをボケーッとやっているのでは何年たっても進歩がないですよ。仕事は盗んで覚えるくらいでないと。それも所帯を持つ前に覚えてしまわないとダメですね、所帯を持つとどうしても女房、子供のほうに一生懸命になりがち。だからいちばん覚えれるときに、一日一日を大切にしなさいって言うんですが‥‥」
松本氏はよく若い人たちにこう聞くそうだ。「おまえ、今日はどんな収穫があったんだい?」言いたいこと、やりたいことはたくさんある。実現は難しいけれど少しでも近づけたい、少しでも変えていきたいと語る松本氏。 「何でも工期、工期でしょう。時間はいくらかかってもいいから、おもいきりやってくれなんて仕事がこないからあと思うけれど、無理でしょうね。ただみたいな安い日当でもいいからやってみたいですがね。それから、役所でも何でもやかましいことを言うだけで、本当に樹木の“道理”をわかっている人は少ないでしょう。木にはそれぞれ植え付ける時期というものがあるのに、工期に植えないと検査が通らない。それで枯れてまた植え直しでしょう。これがもし年度末が5月になったら半分以上枯れなくて済む。私が大臣にでもなったら年度末を5月にするのにねえ(笑)」
職人の知恵の伝承が途絶えていくさみしさを、感じてしまいます。
松本 勇

1994年6月1日発行 ZOEN(造園時代への先駆け)より

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